なんだ大丈夫じゃん

イラストと文で紡ぐ母と娘の日々のこと。

受け取るエネルギー

何か心に響く純粋なエネルギー。それを欲していた。自分達を静かに受け入れてくれ、何かを与えてくれるのではと期待させてくれるものの一つに美術館がふと頭に浮かんだ。久しぶりに絵をみよう。

少し遠出をし出掛けたそこは観光地にある。何度か訪れたことのあるところなのに美術館に入るのは初めてだった。修学旅行の学生はすでに見学を終えたようで、班ごとに通りで自由に買い物を楽しんでいる。そんな光景も当たり前ではなかったことをこの数年を通して感じた。平和だからこその風景。そんなにぎやかな通りから一歩中に入ると美術館の中は人もまばらで薄暗くひんやりとした空気が漂う。静寂と作品から発せられる年月の経過の重み。そんな中、一つ一つじっくりと鑑賞する。何かを期待しつつ一方では単純に作品のすばらしさに感動しながら。時を越えほとんどそのままの姿で人々に訴えかける作品の数々。自分の心の感受性は、まだちゃんと機能し発している何かをきちんとキャッチできているのかは残念ながら、よく分からなかった。

何も感じなかったわけではないが、熱く響く何かがあったのかと言われれば、それは疑問である。出口を出た先にあるミュージアムショップで一人の女学生が絵葉書について店員さんに尋ねていた。どうも彼女の欲しかった絵葉書は美術館の最後にあるコーナーにしか売っていないようで店員さんが熱意に打たれて今回は特別に買えるように手配してくれたようだ。彼女がどの作品に心打たれたのかは分からないけれど、友達と別行動をしてまで戻ってきたその熱意、そういうものが、今の私には不足しているのかもしれない。「気」が枯れているそんな言葉がぴったりくる。受け取り手の自分にもある程度の余力と空きがないとどんなパワーも入ってこないのだろう。

美術館から外に出て、日差しのまぶしさに目を薄めまた喧騒の中を歩きだす。自分の中に受け取るエネルギーが戻る日もそう遠くないはず。気が満ちるその時まであと少し。そう信じ、帰路につく。