なんだ大丈夫じゃん

イラストと文で紡ぐ母と娘の日々のこと。

終着駅

行先が分かっていたら、この急な変化も安心して受け入れられるのになと思う。終着駅を告げられず電車に乗せられていたのでは、車窓からの眺めも、おいしい駅弁も楽しめない。座っていても、どこか落ち着かず心がそわそわしてしまう。今はそんな感じだ。

自分と同年代の人を見てみると、今までの人生で培ったものが周りの人の役に立っていたり、感謝されたりして過去のノウハウをわりとそのまま続けていられる人も多いように思う。もちろん昔のままではなく、”今”も上手に取り入れ努力しているからこそなのだけど。でも私は今、過去のやり方を全部捨てなくてはいけなくなっている。考え方や方法など、それは生活全般にまで及んでいて、今までは良かったものが逆に害になったりと、どうしていいか正直分からなくなってしまった。でもめげずに何度チャレンジしてもまたやり直し、そんな毎日に心底ほとほと疲れてしまった。

過去のよかった記憶に縛られ、その延長線上でしかものを考えられなくなっているのかもしれない。昔がすごくよかったかと言われれば微妙なのにも関わらず、古いやり方をを踏襲してしまっていいる自分。これでは先に進めない。延長線上ではない、一歩外に出た未来へ進み新しくなるには捨てなくてはならないものもある。分かってはいるのにどうして私はこの年になって全てを捨てなくてはならないのだろうと少し思ってしまう。新しくなるのに、準備する時間なんて本当は必要ないのに、ちょっと待ってと戸惑う自分がいる。往生際が悪いにもほどがあるというものだ。

失敗するたび、自分が自分の中でどんどん無価値になり、自分の存在に何の意味も見いだせなくなってしまった。今、私を乗せた電車は長いトンネルの中を走っているのかもしれない。真っ暗で何も見えない窓に映る不安で悲しそうな自分の顔を見る私。ガタンゴトン、一人ぼっちの電車に響く電車の音。しばらくトンネルは続くのだろうか?生まれる前に決めてきた自分の終着駅・・・今は忘れてしまっている。どこに行くのかな?私は・・・。