なんだ大丈夫じゃん

イラストと文で紡ぐ母と娘の日々のこと。

おでんと珍客

夕ごはんをする気力も残っていなく、近所の食堂へ娘と行くことにした。

まだ早い時間だったから、私たちの他に先客が一組だけ。私は中華そば、娘はかつ丼を注文した。料理が運ばれてくる間に、おでんを食べることにした。

おでんを食べると、いつも思い出すことがある。

今から30数年前、私は体を壊して田舎へ帰って来ていた。そのとき、母は弟2人を連れ再婚し、知らない街に住んでいた。冬の寒い夜、母が大鍋いっぱいにおでんを作った。全員がお腹いっぱい食べてもおでんは少し余った。母は「また明日食べよう。」と言ってお玉を鍋に突っ込んだまま、雑に蓋をしてガス台に置いて寝た。

翌朝、「じいさん、おでんが・・・。」という声に私も台所に行ってみる。

(当時、父と母は、じいさん、おばあ、となぜか呼び合っていた。)

ガス台に置いてあった鍋の蓋が少しずらされ、泥のついた足跡が勝手口に続いていた。

正体を確かめに行った父が「イタチの親子じゃ。」と言った。

かわいそうに腹が減っとったんじゃ。おでんくらいやれ。」と母はなぜか薄情な人みたいな扱いを受けていた。

古い木造の家だったから、たぶん床下から入ってこれたんだろうなと思う。それからすぐに、イタチの親子は引っ越して行った。父しか見てないから詳しくはわからないけれど…。

寒い冬の夜、少し鍋の蓋が開いていたことで、イタチの親子はその日、命をつなぐことができたのだと思う。母のちょっぴりルーズな性格によって、生かされる命もあったのだと思った。

少しくらい忘れても、きちんとできなくてもいい、そのくらいの、ゆるさで自分にも人にも動物にも接することができたなら、みんな窮屈じゃなく、のびのび生きていける。

少し心の中の硬いモノが溶けた気がした。

おおらかで懐かしい冬の思い出。