なんだ大丈夫じゃん

イラストと文で紡ぐ母と娘の日々のこと。

ピリリと辛く熱い日

金木犀の香りがどこからともなく漂う季節、空は高く澄み渡り晴れている。数年振りに通常開催された地域のお祭り。そんな気持ちのいい天気に誘われ、娘と2人歩いて行ってみることにした。

いつもより人出が多く驚く。田舎だから人がぞろぞろ歩いているのを見る事は普通あまりないのだけど、道路には人、人、人。なんだか皆んな笑顔で楽しそう。何でも当たり前じゃなかったことを思い知ったここ数年。こうして秋晴れの空の下平和にお祭りに行けるありがたさに感謝する。小さな子供ははっぴを着て屋台で買ってもらった綿あめやアイスクリンを頬張っている。カメラやスマホで写真を撮る人やビール片手にのんびり座って見ている人たちもいる。

そんな中に娘と2人身を置いていると娘が産まれてから毎年欠かさず見に行っていたお祭りの思い出が蘇る。まだ父も母も元気だった。皆んなで囲んで食べたおでんやお寿司のオードブル。娘を抱っこして嬉しそうにしている父の姿。思い出の中のお祭りの景色はどれも平和で美しくセピア色をしている。色はもうない。自分も若く自分の未来はこのまま続き平凡に終わっていくのだと信じて疑わなかった。そのはずだった。

でも今はその時思ったような未来ではない道を歩く2人。この土地に本当の意味で馴染めていない気持ちを抱えつつ20数年の月日が経ち、本当はもしかして自分が馴染もうとしてこなかったのではないかと初めてお祭りの喧騒の中思う。どこかいつも斜に構え輪に入りきれない自分を何となく「自分は違うから」なんて言い訳をしていた。皆んなの一生懸命な熱い感じを心では羨ましく思いながら、冷めた自分を呪っていた。本当の自分を知られる恥ずかしさや人と仲良くなるための頑張りの先にあるそれらを手に取るための努力をしてこなかったのではないか。

そんな事を思ったからだろうか?目の前のお祭りの風景を初めて心から美しいと思った。歪んだフィルター越しに見ていたお祭りが初めてクリアに目に心に入ってくる。躍動感に溢れ力強く素直に”今”を生きる人々。私もそう生きたい。心底そう思った。人は見たいように物を見る。だったらこれからは美しく生命力に溢れた”生きた”景色を見たい。自分達の”生きている”はどうすれば見えるのだろうか?もっと本気で自分と向き合って探すよりほかないのだろうか?屋台で買ったフランクフルトはスパイスが効いていてピリリと辛くそして熱かった。