なんだ大丈夫じゃん

イラストと文で紡ぐ母と娘の日々のこと。

カラフルな毛色玉

何年振りだろう。毛糸玉を見てそう思う。編み物はそれほど得意ではないが、嫌いではない。かぎ針編みのそれも長編みしか出来ないから、それほど得意ではないという言い方は正しくないと思う。そのくらいの腕前なのだ。

かぎ針で糸をすくっていると、コロコロと毛糸玉が動く。こんがらがってなくて、キレイに巻かれた毛糸玉。娘が編み物にはまって楽しそうに手を動かしているのを見て、私も安くなっていた毛糸を買った。5玉セットで色んな色に染められた毛糸。編んでいくと、赤いところや青いところ、黄緑のところができて、とてもかわいい。長編みしかできないから作れるものは限られている。網目も増やしたり減らしたりもできないから、真っ直ぐで四角いもの、つまりマフラーくらいしかできないのだ。

母に教えてもらった編み物。母はセーターなんかも冬になると作っていたから、得意だったのだろうと思う。私はいくら教えてもらってもうまくならなくて時々思い出して四角いものを編むくらい。

毛糸玉がコロコロと私の動きに合わせ転がる。こんな風に引っかかることなく、素直に形を変えてみたいと思う。毛糸という自分はちゃんとありながら、マフラーやセーター帽子など様々に形を変え、そこで人々を温め喜ばすことができる。決して毛糸である自分をロープや針金なんかに変えたりせず、しなやかにあくまで毛糸である自分で柔らかくふわふわと。

いつからかこんがらがってしまった毛糸玉のようになってしまった私の人生。イライラせず気長にほどいていけば、また私も形を変えることができるかもしれない。時々思い出したように数段しか編まないから冬までには完成するかは分からないけれど、娘のおかげで思い出した編む喜び。ちゃんと完成させたいと思う。