なんだ大丈夫じゃん

イラストと文で紡ぐ母と娘の日々のこと。

五右衛門風呂

私がまだ小さかった頃、母方のばあちゃんの家は五右衛門風呂だった。鉄の大きな釜みたいな風呂に、板を足で沈めて入る風呂。板を踏みそこなったら・・とデンジャラス感満載の風呂だ。

小さな裸電球に五右衛門風呂。明治生まれのじいちゃんは、肩まで湯に浸からないと怒るから、板を足で踏んでバランスをとりながら、じっとゆでだこになるまで、我慢して入っていた。出る時もそろりと出ないと、体が当たったりしたら、熱い。体を真っ赤にしたゆでだこが、そろりと釜から出る。着替えるところも暗いからさっさとふいて、居間に走っていく。

今考えれば贅沢だ。誰かが薪をくべてくれ温めてくれたお風呂。お湯はなんだか優しく、湯冷めしなかったような気がする。芯から温まるのだ。人の手を通したものは同じ顔をして並んでいても、機械的なものとは全く違うものだ。人の手や気持ちから出る”気”のようなものは、相手を思う時、あたたかいエネルギーとなる。もうおばあちゃんの家は取り壊されてないけれど、私の記憶の中に、あたたかいそれは残っている。