なんだ大丈夫じゃん

イラストと文で紡ぐ母と娘の日々のこと。

フラミンゴ

昨日磨いた台所の床に、勝手口から入る朝日が反射しいている。勝手口には防犯的なものだと思われる格子がついている。檻みたいだなと思った。ここに住んで初めて感じた。ただ、檻と違うところは自分で勝手に外に出られる事だ。なのに、出ようとしない自分、出られない自分にイラ立ちを覚えた。囲いをしていないのに、鳥が飛んでいかないのは、エサがいつも与えられ、キレイに掃除され居心地がいいと鳥が思ってくれているからだと動物園の人が言っていたようなことを思い出す。その鳥みたいにそんなに愛されてもいないし、居心地が言い訳でもないのに、なぜ私はここにいるのだろう。もしかして翼があるのすら忘れてしまったのだろうか?

長い間抗うことをやめてしまったから、反旗をひるがえす方法すら分からなくなったのか・・・よく分からない。ただなんとなく毎日をやり過ごし、また朝だと絶望するくらいなら自分で飛び立ってエサを取ればいい。仲間だって見つかるかもしれないのに。

助走しないと飛べないフラミンゴ。狭いところにいると飛べないらしい。ここにいる意味すら見いだせない私。そんな私は飛び立つため、今助走をつけている最中なのかもしれない。長い間使っていない翼をばたつかせ、もつれた足で空を見る。少し飛んではこけ、それでもあきらめずバタバタと。久しぶりに広げた翼に風を感じ飛び立てるまであと少し。がんばれ私。